レポート【茶碗の中の宇宙】その2
昨日に引き続きまして京都国立近代美術館で開催中の【茶碗の中の宇宙】のレポートです。
今日は超個人的にチョイスする3大見どころを書きます。
①長次郎の【大黒】と【無一物】
まず樂焼初代、長次郎ははずせません。
僕も樂の歴代が揃う展示はそれこそ何度も観ていますが今回初めて観たのがこの二碗。
それぞれ長次郎の黒樂と赤樂ではトップ評価を得ている茶碗です。
というか、黒と赤って書きましたけど長次郎の茶碗って黒なのか赤なのかわかんないところはありますよね。。
ハッキリいうと“泥の色”なんですよ。
その辺りの泥を掬ってきて真ん中をくり抜いたような。。
泥の塊。
果たしてこれは美しいのか?
どう形容してよいのか言葉に窮する物体。
物体。
そう、これは果たして茶碗なのか?
僕は想像するのです。
これで茶を飲めと利休に言われ、戸惑ったに違いない当時の茶人たちの面持ちを。
これを、本当に“素晴らしい”と思い手に持ち眺めた茶人はあの時代にどれほどいたのか?興味深くはあります。
更にすごいのはその見込(茶碗の中)がとてつもなく、深いこと。わずか10センチたらずのはずなのに果てし無く深く感じる。具体的なことをいえば見込に凹凸をつくり実際以上に奥行きがあるような視覚効果はあるのですが、それにしても、深い。
見込とは、茶を飲み終わった後に対峙する場所。
深い深い見込はまさに宇宙と表現できるかもしれません。
これは、同時代に勃興し持て囃された瀬戸黒や志野とは明らかに一線を画するし他のどの茶碗とも違う。
唯一無二。
そして。
樂の2代目以降と比べても長次郎だけは別次元。その意味では、語弊があるかもしれませんが樂焼は長次郎で終わっているともいえるし、2代目以降からが樂焼なんだ、といえるのかもしれませんね。
②道入と光悦の対比
③14代までの樂歴代と当代の比較
、、、長文になるのでまた次回!