レポート【第76回】金沢歴活「『唐物の文化史』・鎌倉から室町、茶の湯創生まで」
こんにちは。
歴活副代表の高橋(yuta)です。
昨日の歴活ではルイヴィトンのお話をいたしました。
ブランドビジネスは信頼と権威が大切であり、その根拠となるものはブランドの起源であるということがポイントでした。
今回ご紹介するのは2016年1月21日に歴活にてお話した内容のまとめ。
内容は日本における【唐物】について鎌倉、室町時代を中心に。
日本人は昔からブランドが好き、ブランドといえば舶来品である、日本における舶来品といえば奈良の正倉院の時代から【唐物】である、というお話です。
この場合、唐物というブランドの起源は「大陸から海を渡ってきた宝物」といえそうです。
唐物というブランドについての考察はなかなか楽しそうな匂いがいたしますので考えを深めましたらまた書きますね!
では唐物についつのレポートをどうぞ。
◼︎「唐物」とは⁇
唐物とは近世までの「舶来品」を指す言葉でして、時代によっては南蛮物や阿蘭陀物も含めて唐物と総称します。
言葉の起源は平安時代以降で、初出は史料の上では大同三年(808年)。
唐=中国王朝の【唐】だが朝鮮半島や渤海からの伝来品、それに似せて作られた国産の品物も唐物と当時いわれました。
今回の歴活では特に室町時代にフォーカスしてお伝えしたのですが、室町の唐物はなかなか奥が深いのです。
平安、鎌倉時代までは権力者の威信財(ステイタスシンボル)だった唐物が足利将軍家の文化政策により、等級づけされ、飾り方のhow-toまで制定され、唐物はどんどんと高騰していきます。
この、唐物を等級づけして新たな市場を形成していく様はまるで「室町資本主義」とでもよぶべき社会でなかなかに興味深いのです。
例えば99貫だったお茶道具が転売の度に500貫→1000貫と値上がりし最終的には大和国(奈良県)の統治権と引き替えになるなんてまさに「室町資本主義」だと思う。
そしてこの、足利将軍家と織田信長が作った室町資本主義を瓦解させたのが利休と秀吉であり、そこから茶の湯がはじまっていくという文脈で考えると本当に面白いのですが、それまた別のところで。
*参考文献
河添房江『唐物の文化史ー舶来品からみた日本』岩波新書 2014年
辻惟雄『日本美術の歴史』東京大学出版会 2005年
芸術新潮『樂吉左衞門が語りつくす 茶碗・茶室・茶の湯とはなにか』新潮社 2008年