会津若松をゆく其の三“千少庵”
昨日は早朝の緊急地震速報で目が覚め慌ただしく会津若松最後の朝を迎えましたyutaです。
いやぁ、びっくりいたしました。。
何事もないように茶を飲んでおりましたが。。
茶といえばあまり知られていませんが、会津若松には一時期あの千利休の息子が身を寄せていたのです。
その息子の名は少庵といい、実の息子ではなく娘婿でした。
千家の家系は少しややこしいんですよね。。
利休には道安という実の息子がいたのですがどうやら折り合いが悪かったらしく、自分の茶の湯の後継者には娘婿の少庵を指名しました。
この少庵の孫は4人いまして、4兄弟の次男が武者小路千家、三男が表千家、四男が裏千家の祖となります。
あれ??
また長男がはぶかれてるよ❓
長男は早死にしたの❓
気になりますよねぇ。。実は長男はこれまた父親と折り合いが悪く勘当同然の状態だったのですね。。
長男と父親の折り合いが悪いのは千家の伝統でしょうか、不思議なもんです。
話を少庵に戻しますと、千利休が秀吉の怒りを買い切腹させられた後利休の親族は京都に住んでいられなくなったため散り散りになります。
っで少庵の身柄を引き取ったのが昨日紹介した、利休の弟子でもあった蒲生氏郷だったのです。
氏郷に招かれた少庵は会津若松の地に千利休の茶を広めたようで、その少庵のお茶室が現在も鶴ケ城の一角に残っております。
茶室麟閣。
拝観料とは別料金600円でお抹茶もいただけます♪
少庵は秀吉のほとぼりが冷めるまでの間会津若松にて過ごしますが、現在も会津若松が茶の湯が盛んなのは少庵の影響が少なからずあるかもしれませんね。