ローマを求めてしまうのがヨーロッパの性であり、分離独立をしたがるのもまた性だな、という話
神聖ローマ帝国について連日書いております、歴活副代表のyutaです。
今日はまとめとして、神聖ローマ帝国前史というか古代ローマについて少しだけ。
日本人のヨーロッパ史理解を困難にする、あるいは“誤解”させるものがいくつかありますがそのうちの筆頭はキリスト教でしょう。
“神”によって全てが決まる、懺悔、最期の審判に備える人々など、生活に根ざすこともさることながら、新大陸での一方的な布教、イスラムとの対立とそれが巻き起こした事象をみても、何だか日本人にとって「理解し難いもの」ではないでしょうか。
そのキリスト教と並び日本人が理解し難いもの、もしくは誤解しているもののが「ローマ帝国」だと思うのです。
(そして、ファッションの観点からいくと【ヨーロッパとは革の文化である】ということも理解し難いところです)
ローマ帝国といえば中学校の歴史でも習いますし、映画・漫画などメディアでも繰り返し取り上げられる題材なのでお馴染みですよね。
ローマ人はお風呂が好きなんだ、みたいな(笑)
教科書的にはローマ帝国はゲルマン民族の大移動の後、476年に滅亡と習います。
その後、ヨーロッパは長い暗黒の中世に入る(蛇足ですが東洋と西洋の覇権800年交代法則というものもあります)
しかし、ローマは滅んでいないのです。
何度でも蘇ります。
ローマ再興を目指す皇帝の子孫たちが海賊と一緒に帝国の財宝を探したりはしませんが。。
出典https://twitter.com/pockygakkie/status/590484765427400704
いやしかし、ここまで書いていてふと思いましたが、“ローマは滅んでなんかいないんだ、何度でも蘇るんだ”という信仰に近い想いはきっとヨーロッパ人のDNAに深く刻まれているような気がしてきました。
だって、神聖ローマ帝国の成り立ちは“ローマは何度でも蘇える”というぶっとび理論そのものだもの。
閑話休題。
話を端折るとこでした。
実は、476年に滅びたのは「西ローマ帝国」だけ。
「東ローマ帝国」はその後も存続、それどころか地中海に覇をとなえ再び巨大帝国を築くのです。
どういうことか?
そもそもローマ帝国は広大すぎる領土の統治効率化のため395年に東西に分裂します。
時の皇帝が臨終に際し息子たちに分割統治するよう言い遺したのです。
西ローマは、ローマを。
東ローマは、コンスタンティノープル(現代のイスタンブール)をそれぞれ首都にしました。
そして、コンスタンティノープルを首都に戴く東ローマはギリシャ半島に勢力を保ちながらその後も1453年にオスマントルコによって滅ぼされるまで国家として続きます。つまり、ローマ帝国は古代で滅びず1500年もの長期にわたり存在したのです。
まずもって、ローマは滅びず(古代ローマは滅んだとみることはできますが)日本の室町時代まで存在したってのがビックリですよね。
しかし、東ローマ帝国はあくまでギリシャ半島周辺を治めるにすぎない。
イタリア半島以北の蛮地、今ではフランスやドイツ、イギリスと呼ばれる西ヨーロッパ世界にはローマの威光は届かない。
ギリシャにはローマ皇帝がいる、この西ヨーロッパ世界にもローマ帝国が、皇帝が必要だ。。
ある時、1人の人間が考えました。
そうだ、数百年前に滅んだ西ローマ帝国を復活させればいいのだ、と。
そう、それが前々回に書いた教皇レオ三世。
そのような経緯でもって復活した西ローマ帝国を民衆がとれほと言祝いだかは気になります。。
とはいえ、古代ローマ→ゲルマン民族諸国家→カール大帝の復活西ローマ帝国→大帝の死後分裂→フランス王国と神聖ローマ帝国→30年戦争による神聖ローマ帝国の弱体・国民国家の成立→EU樹立→ブレグジットの流れを見るとヨーロッパ(西ヨーロッパ)は分裂と統一を繰り返しているなぁというのが印象です。