2017年の侘びとは何だろう
おはようございます。
早いもんで7月最終日っす。
最近、茶の湯に侘びって必要なのか?って思うんですよね。
侘びなきゃいけないのかなーって。
そして侘びって本来なんだっけ?と考えると、そもそも現代において侘び茶は成立可能なのか?って問いに行き着くんです。
利休さんの侘び茶とは、ただ単純に不足の美を珍重するという性格のものではないと思うので。。
それは生命が常に刃の光に晒されている、切羽詰まった状況でこそ成立する。
土壁の粗末な茶室も得体の知れない樂茶碗も、入れられた花もそんな状況だからこそそこに居合わせた人間に何かを与え心を揺さぶる。
そうなるとやはり、本来の意味の侘び茶は利休と織部の時代で終わっているのかな。
そう考えれば利休さん以降の千家はほとんど利休ごっこ、なのかもね。
いや、伝統は、油断するとなんでも【ごっこ】になってしまうか。
だからこそ、飢えや戦乱で生命の灯を消さない現代における侘びとは何かを考えることも面白いのかな。
本日は小難しい話からスタートですが、お菓子は和菓子処はやしさんの葛まんじゅう。