金沢の茶の湯【中川宗半】
毎日抹茶を飲んでいながら風邪をこじらせ気味のyutaです。
僕は1000日以上抹茶を欠かさず飲んでおりますがそれでも体調壊すときは壊すんですよねぇ。。鼻水がグズグズだぜ。
さて中川宗半です。
ざっと概要。
◼︎生没年は?
永禄五年(1562年)〜慶長一九年(1614年)織田信長の家臣、中川重政の子として生まれる。
◼︎どんな人?
前田利家配下となり越前、加賀へと利家と行動を共にし利家の次女を娶るなど前田家と関係を深める。
茶の湯には相当入れ込んでいたようでどうやら秀吉にも茶の実力は認められていたらしい(秀吉の御伽衆として扶持を賜っていた)
大名物である茶入【宗半肩衝】を所持し、高山右近と並び加賀藩創成期の金沢の茶の湯で重要な人物。
◼︎なにかエピソードは?
・あまりに茶の湯に凝りすぎて政務を怠り罰として能登(七尾市)に流罪になった。茶の湯ジャンキー。
・後世、宗半肩衝とよばれる名器は千利休→前田利長→中川宗半と渡ってきたが、宗半ははじめあまり名器だと気づかず雑に扱ったようでそれを知った利長の不興を買ったらしい。
そんな宗半の屋敷跡が、こちら
はい、見事なまでに面影がありません。。道路が屋敷わ突っ切っております。
そう、金沢市民の方なら分かると思いますが玉川図書館前から北国街道に抜ける道って昔は無くて僕の小さな頃はまだ住宅地でした。
今はご覧の通り。。
また、この辺りは江戸時代初めには宗半町とよばれたそうで、また宗半の別名が武蔵守だったので武蔵町→武蔵ヶ辻となったとも言われており、地名で現在の金沢に痕跡を残す宗半なのでした。