加賀茶道を歩く!宮崎寒雉の塩屋釜編
金沢の街歩きに必須なもの、それは古地図アプリ【古今金澤】
⬇︎これです
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古今金澤を使って金沢を歩こうシリーズ、今回は僕の得意分野、茶の湯(茶道)でございます。
題して「宮崎寒雉の塩屋釜編」。
宮崎寒雉といえば14代を数える全国でも屈指の釜師です。
その初代は実は能登の出身でして穴水町の仲居という鋳物産地の出。
本日は初代宮崎寒雉の塩屋釜のエピソードをなぞるツアーを企画したのです。
初代寒雉はこれまた裏千家流の四世仙叟宗室(せんそうそうしつ)と親密(2人は6歳差くらい)なのですがあるとき、仙叟が寒雉に釜をオーダーしました。
オーダーといっても発注主は前田のお殿様と思われ、仙叟は殿様がこれこれこういうお釜を所望なので、いつもの事だけどヨロシク頼むぜと寒雉に発注いたしました。
その発注書が↓
てなわけで、宮崎寒雉邸から仙叟屋敷まで塩屋釜を届けにいきました。
んで、現在の宮崎寒雉邸跡にて記念写真。
現在は日航ホテルの入り口になっております。。。釜師彦九郎(宮崎寒雉)邸前にて、図録を広げ悦に浸る私。
かなり、シューールです。
金沢の街をアプリ片手に歩き。。。
遂に仙叟屋敷跡に到着!
仙叟屋敷はちゃんと現在も残っております。
歩いてみて思いましたが、寒雉邸から仙叟屋敷までが意外と遠いんです。
寒雉はこの距離をお釜を携えてテクテク歩いたと思うと、江戸の金沢で如何に茶の湯が愛好されたか、茶の湯熱があったのかと思いを巡らさずにはおれません。。
最後に参加者の皆さんとパシャリ♪